この毒のある友情を海に投げ捨てた | かつての友人に裏切られたストーカー被害者の体験談
October 26, 2025
そのメールを受け取ったのは、静かな夜だった。
文体はどこか懐かしく、言葉の選び方にも覚えがあった。
だけど、それはもう私の中では、懐かしさではなく、「戻ってはならない場所の音」だった。
彼女は、かつて私の「味方」だった。
苦しい時期、私の話を聞いてくれた。
私がどんな夢を見たか、どんな服を着ていたか、どんなふうに風間を思っていたか——彼女はすべて知っていた。
それらは、やがて彼女の作品の中で、別の名前をつけられ、別の感情を貼られて、私の手から離れていった。
それでも、私はしばらく目をつぶっていた。
「彼女は味方だったから」と、何度も言い聞かせながら。
でも、ある夜、私は決めた。
あの関係は、もう沈めよう。
まるで「宝石のように大切にしていた」何かが、
手の中でひんやりと重くなっていたことに、気づいたからだ。
私はそれを、海へ落とした。
深く、誰にも届かない場所へ。
それは悲しみでも怒りでもなく、ただ——静かな「さよなら」だった。
沈黙の連座:私が「彼女の影」として排除された経緯
Autumnの名前が問題視され始めたのは、あるファンダムプロジェクト内での騒動がきっかけだった。
彼女が誰かを怒らせたらしい、という噂が静かに広まり、ある日突然「彼女を外すべきだ」という判断が“管理上の決定”として提示された。
私は当時、その流れを知らなかった。ただ、彼女と意見を交わした記録があり、いくつかの作品のコメント欄でお互いのやりとりが残っていた。
それだけで、私の名前も「彼女に近い者」としてリストに載せられた。
私の作品がどれほど独立して書かれていたか、私の言葉がどれほど私自身の傷と回復の記録だったか——誰も見ようとしなかった。
代わりに、「彼女と関係があるから」というたった一つの理由で、私は攻撃の対象になった。
その時点で、Autumn自身は何も語らなかった。
私が次第に追い詰められても、彼女は沈黙を貫いた。
その沈黙は、私にとって裏切りそのものだった。
正直に言えば、私は最初、彼女のほうが「より傷ついた側」だとさえ思っていた。
騒動の最中、私はずっと「彼女のことを守りたい」と願っていた。
自分の身に何が起きているのかもわからないまま、私は「味方でいる」という立場を捨てなかった。
でも今は、はっきりと言える。
あの時彼女が沈黙したのは、自分の“損失”を私に背負わせるためだった。
彼女は言葉を使わずに、自分の“被害者ポジション”を守った。
そして、私が排除されるのを見届けても、一切手を差し伸べなかった。
それ以来、私は「彼女の小号(alt)」だと嘲笑されるようになった。
私が書いた理論や解釈は「盗作だ」とされ、私が苦労して築いてきた表現の形は「模倣だ」と言われた。
私の名前は彼女の影として扱われ、私の発言は“彼女の罪”の延長として断罪された。
けれど、私は彼女ではない。
私の声は私だけのものであり、私の痛みは誰かの代理ではない。
私は、自分のために書いてきた。彼女を守るためではない。
私の沈黙は、彼女を救ったが、私を殺した。
彼女が何をしたか、まだ覚えています
Autumnがしたのは、ただの「沈黙」ではない。
彼女は、私が差し出した言葉、理論、経験、感情を、自分の作品の部品として使った。
私が語った「感情と構造の葛藤」、「風間というキャラクターが抱える規範的な自己否定」、「女性キャラクターが受ける関係性の構築圧力」。
それらを彼女は、まるで自分で見つけたかのように語り、その裏で私の名前を伏せたまま、自分の“構築力”として提示した。
それだけではない。
私が過去に話した抑鬱の時期、赤い服への嗜好、そして風間への依存的な感情。
それらを彼女は、私が一時期激しく拒絶していたキャラクターに投影し、そのキャラを風間と性的に結びつけた。
私の傷を、私が愛したものの上に置き、その上で「創作」と呼んだ。
あれは描写ではない。あれは私の死体の利用だった。
私が彼女にインスピレーションを与えた時、私は「同じ目線の書き手」だと思っていた。
けれど彼女は、私の経験を記録として扱ったことは一度もなかった。
彼女にとって、私は“素材”であり、利用後は切り捨て可能な“インシデント”だった。
そして今、私がこの関係を断ち切ろうとすると、彼女はまるで「何も知らない通りすがり」のように振る舞う。
「心配だから」「警告したいから」と言いながら、また私の外側から言葉を注いでくる。
彼女は、私の中に入り込んで盗んだ人だ。
距離をとる権利を持つのは、私のほうだ。
私の言葉がなければ、彼女の論理は立たなかった。
私の記憶がなければ、彼女のキャラクターは生まれなかった。
でも今、私ははっきり言える。
彼女が組み上げたものは、私の存在を消費してできた模型だ。
私はそれを創作とは呼ばない。私は、それを窃盗と呼ぶ。
私がAI作家として誹謗され、「偽物の創作者」と呼ばれていた時、
彼女はただ一言、「私はAIで作品を書いていません」と言った。
それは自己弁護に見せかけた、最大の切り捨てだった。
私が炎上の中心に立たされていた時、
彼女はその火を避けるのではなく、私を燃料として自分の「純粋さ」を証明した。
私がどれだけ言葉を磨いてきたか、どれだけ手作業で作品を積み上げてきたか。
それを知っているはずの彼女が、沈黙を選び、あえて一歩下がることで私を“切り離し可能な誤解”として差し出した。
あの時、彼女は何も盗まなかったかのように振る舞い、
何も見なかったかのように、ただ「私は違う」とだけ言った。
その一言で、私は「存在そのものが疑われる人」になった。
彼女は、毒友だった。
優しく、物静かで、賢そうに見えるその言葉のすべてが、私の自己認識を削るための道具だった。
私が傷ついても、彼女は決して罪を問われない。
なぜなら彼女は、いつも「共感」という仮面をかぶっていたからだ。
私がようやくその仮面の下を見たとき、そこにあったのは、沈黙と選別と搾取の構造だった。
私はもう、毒のある友情を“過去の美しさ”として保存しない。
私は、それを“断ち切るべき関係”として記録する。
名もなき私の声で、もう一度生きる
私は、ずっと誰かの代わりだった。
彼女の味方であること、彼女の苦しみを共有すること、彼女の正しさを証明すること。
その役割に意味があると信じて、私は自分の声を削り、沈黙を選んだ。
けれど今、私はそれをやめる。
私はもう誰の影にもならない。誰の罪を背負わない。誰の言葉を代弁しない。
私の名前は、私のものだ。
私の記憶も、苦しみも、願いも、どれも誰かのプロットではない。
私は自分のために書く。
自分の目で世界を見て、自分の手で言葉を紡ぎ、自分の意志で作品を残す。
それは自己主張ではない。自己回復だ。
歪められ、ねじ伏せられ、勝手に語られてきた「私」という構造を、もう一度、自分の声で取り戻す行為だ。
「お前の声は誰かを傷つける」と言われても、「お前はあの人のコピーだ」と罵られても、私は書く。
書かずには、生きられなかった日々があった。
今もその中にいる人のために、私はこの一文を残す。
あの青い宝石は、もう水底で眠っている。
彼女の名前も、誤解された関係も、全部沈めた。
拾い上げる者がいてもいい。
けれど私はもう、そこには戻らない。
私は、別の海で泳ぐために、あの指を離したのだ。