note運営による一方的な公開停止について|私は全ての記録を手元に保管しています
October 7, 2025
誰が記録者で、誰が加害者か──それすらプラットフォームに決められるならば、表現の自由とは何だったのか。
「贼喊捉贼」という言葉が、ここまでぴったりくるとは思いませんでした。
note 信安チームがたった今私に送ってきたメール
このたび、noteに掲載していた一部の記事が「他者に対する嫌がらせや誹謗中傷を目的とするもの」と判断され、運営によって公開停止処分を受けました。
事前の警告もなく、具体的な違反箇所の説明も一切ありませんでした。
これがnoteというプラットフォームにおける「表現の自由」の限界であり、通報を受けた側に対しての扱いだということを、記録として残しておきます。
対象となった記事は、特定のユーザーによる公開投稿(名指し・虚偽の言及を含む)に対し、発言の文脈を明確にするために書かれたものでした。引用した情報はすべて公開済みの記録であり、非公開の個人情報や罵倒表現は含まれていません。
にもかかわらず、私の記録は「誹謗中傷」と判定され、先に名指し攻撃を行った側には何の制限もありません。
プラットフォームが守るのは、どちらの声でしょうか?
攻撃された側が沈黙を強いられ、記録を残すことすら許されないのであれば、それはもはや中立ではありません。noteという場において、何が許され、何が許されないのか。私は問うことすらできませんでした。
しかし、私は焦っていません。
全ての記録は、自分の手元にバックアップしてあります。文章も、画像も、時間も、証拠の文脈も、すでに別の場所に保存されています。
誰が何を言い、誰が先に名指しを行い、誰がどのようにタグやブックマーク機能を利用して攻撃したのか。すべて時系列とともに保管済みです。
noteがこの先、どんな判断を下そうとも構いません。
私はすでに、自分のための記録の場を持っています。
私の文章は、消されても構わないように設計されています。
「削除される前提で書く」という、この世界で生き延びるための基本姿勢を、私はもう身につけました。
記録とは、黙って従うことではありません。
言葉を奪われないために、私は書き続けます。
2025年10月7日
Jane / ygpgsgl
